相続コンサルタント司法書士 鈴木敏弘とは①

こんばんは
今日でちょうど33歳になりました、
相続対策コンサルタントの司法書士鈴木敏弘です

ここでブログをはじめてまだ2日目・・・
まず、お前は誰だっていう感じだと思います
何者か分からないと話も聞いてもらえないと思いますので
自己紹介をします

司法書士 鈴木 敏弘
所属 東京司法書士会
会員番号 4918
認定番号第 701132
東日本大震災法律相談員
東京都庁クレジット・サラ金相談員

今まで、相続や借金問題で困っている1000人以上の方の法律相談を受け、問題を解決してきました

ハイハイ2人目誕生
東京都目黒区にある国立病院機構東京医療センター(旧国立東京第二病院)で3兄弟の末っ子として産声を上げる

ランドセル小学校時代
地域の少年野球チーム野球ボールに入団。
多摩川の巨人軍ジャビットグラウンドの隣のグラウンドで毎週水、土、日と練習。
当時、大活躍していた桑田真澄元選手、斎藤雅樹元選手と握手したのが思い出。サインも貰えばよかったと後悔泣き顔

学生中学校時代
小学校から野球をやっていた流れで野球部に入部野球
ほどほどに守備が良かったらしく、ピッチャー、キャッチャー以外の守備をほとんどやった。ただし、ピッチャーはできず。。。 やりたかったな~バッター

学校高校時代
高校生になると早く自立したいという思いが強かったのか、すぐにマックでアルバイトを始めるマクドナルド
その時の時給は730円ぐらいだった。
ちょうど100円バーガーやら80円バーガーが始まり、売れに売れまくっていたので永遠とハンバーガー作る。たまに、『ハンバーガー100個ください』とオーダーが入ったらテンションはガタ落ちでした。マシンになっていましたふぃれお

そして東海大学へ帽子
アルバイトと遊びに明け暮れ、あっという間に大学卒業。
理系丸底フラスコの学部だった。卒業研究は『原子力発電について』を書いたけど、その知識は東日本大震災では役に立たなかったとほほ

スーツ社会人時代
社会に出てからは東京でリコーというメーカーのコピー機の販売を1年間やりました。その後、司法書士になってやると思い、司法書士になると上司に言って辞めたが、なぜか渋谷のクラブで働くことに。しばらくの間、だらだら過ごしてしまう

このままじゃダメだと頭のどこかにスイッチが入るスイッチ
そこからは勉強、そして勉強と勉強以外のことが頭に入らなくなる。3年間かけて28歳の時になんとか合格合格

自慢ではないが、模試ではほとんど、合格圏内に入ったことがない。
ただ、司法書士の本試験対策としては過去問を解いていたほうがいいんだと自分に言い聞かせ本試験へ望む。

これは運が良かっただけなのか分からないが、たまに合格を目指している人に試験対策を聞かれると過去問を集中的にやるといいよとアドバイスしています

と、あっという間にこんなに長くなってしまいました
もう飽き飽きかもしれませんが(笑)続きはまた明日te
よろしければまた明日もご訪問いただけると嬉しいです

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